元気で、ということもできなかった私をおいて行ってしまった彼。
全国大会で優勝して盛り上がった3日後、誰も知らぬうちに故郷へと帰っていた。
「越前、アメリカにいったらしいぜ」
と堀尾君が言ってきて、初めて知った。
その日は、彼にとても怒りを覚え、何よりも大きな喪失感を味わった気がする。
でも前触れは何回もあった、とふと冷静に考えれば思い出す数々のできごと。
彼はテニスが好きだ。
誰よりも、この青春学園の先輩たちに劣らないくらい。
なら本場のアメリカでやりたいと思ってもおかしくない。
というか、私ならやりたいと思う。
だから、彼の気持ちは理解できた。おじさんを超すのなら、やっぱりアメリカで修業を積むことが一番の近道だと思う。
でも、置いて行かれる身にもなってほしいもんだ。
「、また明日」って言われて、次の日会えなかったことに少しでも疑えばよかったと後悔して
彼を責めては泣き続け、彼の顔を思い出しては胸が痛くなった。
そんな毎日を過ごして今、私は彼が居ない生活に慣れ始めていた。
テニス部のマネをやってても、彼が居ないことは当たり前だった。
3年生が引退してから、部長は海堂先輩がなり、桃ちゃん先輩が副部長を勤める部活になった。
海堂先輩が率いる男子テニス部は、手塚部長の厳しさとはまた違う厳しさを出していた。
その部長を支える桃ちゃん先輩が、部員達の細かいところを見落とすことなくチェックしていた。
手塚部長と大石副部長の意思が、ここに根付いているなぁと感じるところ。
ここに生意気な1年生と呼ばれた彼が居たら、先輩になった彼はどれだけ暴れまわるのだろうか。
先輩の癖に何も教えなかったり、自分の練習優先して後輩に嫌われる先輩にでもなっていただろうか?
それも全部、空想の中でしか結果が出せない。そしてその空想は、現実ではなく夢の世界だ。
彼が居なくても大丈夫、なんて本当は無理な話だ。
今でも頭の中で、ここに彼が居る。
「、こっちにボール」とか言って指図してきて、「ありがと」ってぶっきらぼうに言ってくれるんだろうな。
そんな空想を広げて、また1日が過ぎていく。
“越前リョーマ、全米オープン”
と大きく載っている記事。月刊プロテニスの井上さんが作った記事だろう。
全米オープンの詳細、リョーマの対戦相手のことなどいろいろと書いてある。
幼馴染としては、これほど誇れるものは無い。
でも好きな人が、と思うと遠い。アメリカなんて、行って来るって言っていける距離ではないんだから。
「リョーマ」
知っている、分かっている、でもそれを望めない
彼にとってテニスがかけがえの無いものだと知っている
だから投げ出すなんて無理だって分かってる。
世界に名を轟かすのだって彼なら造作も無いこと。
でもね、でもね私
やっぱりリョーマに、近くにいてほしいんだよ。